「宮澤やすみの小唄かふぇ Vol.8」ライブレポート


小唄と猟奇ホラーが、まさかのコラボ! エログロの中心で愛を唄う
TEXT:鏑木麻矢 PHOTO:スズキマサミ


■ほっこり落ち着くカルチャーサロン

江戸花街の残り香いまだ濃い神楽坂の、静かな一角にその店はある。
淡い照明に古き良き喫茶店のなつかしさ漂う「キイトス茶房」で、今夜のお客さんが集まりはじめた。宮澤やすみ氏の専門分野たる伝統芸能や仏像が好きな人はもちろん、アートに文学、はたまた何でも面白いもの・一風変わったものが好きという趣味人まで、幅広い間口は懐の深さを感じさせるに充分だ。客席は満員御礼。知らない者同士でも自然とカルチャーな話題に花が咲き、そうかと思えば至るところに置かれた本を夢中で読みふける人も。美味しい料理やお酒を楽しむのもいい。ちょっとした好奇心さえあれば誰でもくつろげる、そんな場所でショウは始まる。

■酒とエロスの小唄で大人のデカダントリップ

ラフな着こなしの和服に、えんじ色のソフト帽という洒落た装いの宮澤氏が登場し、開口一番は小唄「酒の座敷」。食事でもしながら気楽に聴いてほしいという思いを込めた粋なもてなしだ。こぢんまりとした店内によく響く三味線のやわらかな音色と、氏独特のゆるいトークで場の雰囲気が一気になごむ。

続く小唄「春風がそよそよと」は、節分から梅の花が咲き、雪が降って春の呼び声をきくという、まさに今時分の移り変わる季節の情景。いかにも格調高い和の情緒かと一瞬思いきや、そんなまったりとした時間を遊郭に入り浸り酒に溺れて過ごすという、何とも卑近でありながら遁世的ロマンあふれる内容だったりする。

これこそが小唄の醍醐味、あるいは宮澤氏ならではの表現の旨味といえようか。「和」モノとはいえレトロモダンなカフェにはミスマッチのエキゾチックなサウンドで、かげろうのように空間が揺れる。氏の服装もあいまってか、混沌とした和洋折衷の、そこはまるで大正時代。知らず知らずのうちに退廃的な異世界へと誘われていく。

■秘すれば花、隠すエロスは無限大

世界観が出来上がってきたところで定番の名曲、「梅は咲いたか」を演奏。こちらは端唄(はうた)。弦を指でつまびく小唄と違って撥(ばち)を使うのが、一見してわかる特徴だ。遊郭で生まれたというのも納得のにぎやかな曲調で、華やぐ江戸の風物と色恋の予感を歌う。締めのフレーズ「吉原へご案内〜♪」で、心は遙かなる愛欲のワンダーランドへ。

端唄から、より通な人向けに派生したのが小唄。音量も少なく、軽く弾いてサラリと歌うのが粋なのだという。こういったツボを押さえた豆知識が、ロックに例えるなど独自の視点を交えて随所に挟まれるのも嬉しい。 続いての小唄「春風さんや」は、花が「ゆうべの嵐」で咲いてしまった、という内容。それだけなら何と言うこともないだろうが、ここでの「花」とはズバリ女性の(ピー!)。えぇと、中身は想像におまかせします。ここからめくるめくエロスが展開されていく。

小唄の古典「桜見よとて」は、これまた桜の花の移り変わりとともに吉原に入り浸ってしまう唄。そして「咲いた桜の木」では、女性を桜の花、男性を馬になぞらえて、両者が絡み乱れ散る様子を歌う。少し考えるとかなりエロい歌詞なのだが、そのリズミカルで陽気な節に乗せてあっけらかんと歌われればとても気付くまい。小唄のエロは「かくすエロ」という宮澤氏の言葉に笑いが起きる。

第一部の締めも艶っぽく、端唄「春雨」。こちらは長崎の遊郭で歌われた端唄の名曲。梅の花が男性で、そこに戯れる鶯が女性の象徴だ。ハッピーエンドを匂わせつつも切ない一途な愛の歌。「サアサなんでもよいわいな」と歌う結末には、どこまでも自由だけれど、どこか哀しい愛の形を感じた。同時に、隠すエロスというのも、脳内での想像の世界には常識の計り知れないものがあることを奇妙な形で思い知らせる。

夜のカフェに官能の花が咲き、しっとりと濃厚な大人の時間が流れた。しかし聴衆はまだ、ここまでの間にそっと組み込まれた仕掛けを知るよしもないのであった…。

■日常のエロスから猟奇の純愛「人間腸詰」へ

休憩を挟み、第二部で待ちに待ったゲストの登場。純文学や昔話を中心に演じている俳優の松田光輝氏は、大正時代に一世を風靡した劇団「芸術座」の流れをくむ「文学座」の出身だ。宮澤氏も三味線で参加するボーダーレスな伝統和楽器バンド「音和座(おとわざ)」の鳴物担当でもある。メンバー紹介を兼ねた音和座ドイツ公演の思い出話ついでに、宮澤氏がぽつりと切り出す。「ドイツではソーセージが美味しかったねえ…」

そう、今回のヤマは何と言っても、これから始まる三味線朗読劇「人間腸詰(ソーセージ)」。原作者の夢野久作は、大正〜昭和初期の作家。稀代の奇書と呼ばれ続けた代表作「ドグラ・マグラ」で知る人も多いだろう。「人間腸詰」は、タイトルからも察せられる通り、猟奇ホラーである。これが一体、小唄とどう絡むというのか。誰も想像のつかないようなコラボレーションを多数発表してきた宮澤氏の新たな境地に、客席は期待と不安が入り混じる。

作品について、「昭和初期に流行したいわゆるエロ・グロ・ナンセンスだけれど、僕はこの中に非常に純粋なものを感じます。江戸川乱歩のテイストに近いような、純愛です」と語る松田氏。すかさず宮澤氏が「これで今日からソーセージが食べられなくなっても知らないよ」と茶化す。 いよいよ照明が暗く抑えられた。

松田氏が、「コキリコ」という普通に生活していればあまり見ることのなさそうな鳴物を紹介する。これで効果音を鳴らすというのだが、一体どんな音なのだろうか。続いて、宮澤氏が三味線のコマを取り換える。材質によって音色が変わり、ここで使う水牛の角と鉛を用いたコマでは重厚な渋い雰囲気になるのだという。三味線には実に多彩な奏法があり、常日頃から宮澤氏が小唄を「江戸のジャズ」と称するのもうなずける。楽器も発想も変幻自在な宮澤氏の紡ぎだす劇伴が、重苦しく湿った不穏な空気を呼び覚ます。

冒頭で語られるのは、遠くアメリカのどこかにあると噂される不気味な腸詰製造機械。そこでは人を殺したら、この「ガリガリ」に投げ込んで跡形もなくソーセージにしてしまうのだという…。猟奇世界の幕開けである。

■衝撃の結末、猟奇に垣間見る超官能の純愛とは!?

不意討ちのように挿入されるのが、先ほどの「梅は咲いたか」。曲が終わると場面が変わり、1904年アメリカはセントルイスの万国博覧会へ意気揚々と出張に向かう大工「治吉(はるきち)」の独白を、主人公らしい張りのある元気な声で松田氏が演じる。相変わらず華やかながらもコマによる音色の違いで影をまとったこの曲が、異国の喧騒をさまよう彼の行く末に暗示するのは恋の予感か、それとも不吉な予感か。

海の上で地球が丸いことを疑ってみる治吉。当地で彼が聞き話す、奇妙な響きの言葉たち。とりわけ繰り返されるこのフレーズ「じゃぱん がばめん ふぉるもさ ううろんち わんかぷ てんせんす かみんかみん…」が、朗読だからこそ否応なく耳に残る。これらが常識的な思考に揺さぶりをかけ、ゲシュタルト崩壊を導いていく。劇伴は終始ウキウキとした調子で奏でられ、非日常的なお祭りムードを浮かび上がらせる。 そんな緩やかに狂った世界の中で、治吉が出会うのは万博の給仕として働く、チイチイとフイフイという2人の中国娘。やけに積極的なチイちゃんとフイちゃんに、知らない街を連れ回される治吉。ますますワクワク感が高揚していく劇伴。

そうこうするうちに、彼は奇妙な場所へと迷い込む。チイちゃんのキスとともに、目の前は暗転。鏡だらけの部屋に、怪人が登場する。この「カント・デック」なるギャングの大ボスの声は宮澤氏が怪演。治吉は脅しに屈するまいとあがく。だが、これでも抗えるものかとばかりに、果たして目の前に現れたのは、かの腸詰製造機械。そして駄目押しのように、女性の死体。しかもあろうことか、死体は、ある見覚えのある女性であった。彼女との関係はいかに?そして携えられた最期のメッセージとは?想像を絶する運命が待っている。

噂の「ガリガリ」とはかくや、背中がぞっとする嫌な感触をコキリコの音が耳に刻み付けていく。続いて淡々と演奏されるのは、「春風さんや」。第一部の、嵐で咲いてしまったあの花が、途端に生温かい血のしたたる肉の花に変わる。そしていつしか病院に運び込まれていた治吉は、彼女の肉と、思わぬ形で再会を果たす。敢えてここで詳しくは書かないが、その一瞬の邂逅に凝縮された、どこまでも純粋な愛の形を感じてほしい。

終盤で描かれる一連の奇妙な巡り合わせに「世界の道理」を見出すという下りが、何とも夢野久作らしいと私は思う。愛は人間の常識の遠く及ばない彼方に輝き、同時に、どうってことない日々のすぐ隣にも潜んでいる。けれどもそれは決して別々のものではない。そんな融通無碍の領域が、小唄のもつエロス的なロマンチシズムと間違いなく通底していたのだ。

■小唄の優しいスイングに夜はふけて

「人間腸詰」の余韻も醒めやらぬうちに、最後はふたたび小唄の時間へ。ライブ初出になる小唄「雪はしんしん」は、しっとりとした和音が柔らかく包み込んでくれるような癒し系の音。つい先ほどまで神妙な面持ちだった皆の緊張を、優しく解きほぐしてくれる。歌われるのは、会えるかどうかもわからない意中の人を、つい意味もなく待ってしまい悶える気持ち。これって江戸時代の遊郭だろうと、現代のメール恋愛だろうと、変わらない営みではなかったか。何かしら共感できるものが必ずあるのも小唄の魅力だ。

ラストを飾る定番は、小唄「世の中さまざま」。何かというと効率重視の現代とは対極にあるスローな生き方のありようを端的に言い表す一曲は、いわば宮澤氏の座右の銘。今の生業に行きつくまでだいぶ紆余曲折があったというこの方が歌ってこその深い味わいがある。私もこの歌が大好きで、氏のライブのたびに聴くとホッとしてしまう。

さらにアンコール代わりの締めは、オリジナル曲「小唄かふぇのブルース」。「小唄はやさしいポピュラーソングさ」と歌い出すこのテーマソングは、小唄のもつ自由さや気さくさなどの可能性を、まるでギターのように扱う三味線という驚きの得意技で表現。今後のさらなる独創的な展開をも予感させる。

さて、大正ロマン的な雰囲気のあった今回に続き、次回の小唄かふぇVol.9は「昭和の進化系」なダンスとのコラボというから、これまた全く予想がつかない。またひとつ、誰も見たことのないアートパフォーマンスが生み出されようとしている。気楽なカフェでゆるりと共有できるそんな贅沢な時間を、もう逃す手はないはずだ。

鏑木麻矢 http://emadoujou.blog.fc2.com

  




































































































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